多感なオトシゴロ。

 高知の名門・明徳義塾で事件が起こった。殺人未遂で逮捕された高校3年生の男子生徒は、とても優秀だったという。成績はもちろんのこと、自分のサイトに心情を吐露していたそうだが、その文章が秀逸である、というのだ。趣味は写真と哲学書を読むこと。写真は展覧会に出品しているほどいい作品なのだそうだ。

 だから、という分けではないけれども、とても同情してしまうのよね。悪いけど(誰に対して? 何に対して?)私、気持ちは良く分かるから。

 昨日読んだ若竹七海の短編「暗闇の猫はみんな黒猫」*1と重なる部分はあるのだけれども、“罪を犯しそうな人”、もしくは“いつ罪を犯してもおかしくない人”と、“真面目でそんなことしそうにないのに、つい罪を犯してしまった人”は、どっちが悪いか。例えばの話ですが、普段から他人に迷惑をかけている人が被害者で、普段から真面目な人が加害者になってしまった場合、最終的に罪に問われるのは、どんな理由があろうとも加害者なのです。

 どちらが悪いか、ではなく、どちらが罪を犯したか、でしか決着がつけられない。…つい最近『火の粉』を読んだからかもしれませんが、人が人を裁くのって、難しいね、ホント。

 いや、こんなことを言いたかったわけではないのですが。なんというか、人を殺したい、と思っただけでその人のことを評価するのはどうかと思うんです。でも、なんというか、普段からホント何やってもおかしくない人が「あいつ、ぶっ殺す」とか言ってて、ホントにやっちゃった場合は自業自得だとは思うんですけど。でも、多かれ少なかれ、むちゃくちゃムカついて、死んでしまえ、とか思ってしまうことってあるじゃないですか。ただ、それを口にするかしないかってのが、まず第一歩目の“良識”なのかもしれませんね。そして、いくら思い詰めていたところで、やっぱり実際行動に移すのと移さないのとでは、大きな違いがある。

 若い頃って、ひとつのことを思い始めると、にっちもさっちもいかなくなるんだよなー。とくに進学校の高校3年生ともなると、どこにも逃げ場がないからね。寮生活だとしたら余計に逃げ場はない。今だから私も言えるんだけど、ふっと力を抜いて、ときには空を見上げてみるといいと思う。なーんにも考えない時間を持つといいと思う。まあ、それが難しいんだけどさ(笑)。高校3年生とか、受験生って、とても世界が狭いのよ。自分と周り(学校+家庭)と目標(進学)しかないんだもん。何考えてたって、結局その3つのうちのどれかしかない。趣味は考える暇を与えられないし、将来のことを考えるのも受験(進学)の延長線上でしかないわけだし、好きな人だって結局は学校に関係しているんだろうし。自分でも、気晴らしが気晴らしになってない、ってことに薄々は感づいてるんだよ。

 それで、私は考えることをやめたのです(笑)。

 結局、周りの子たちは大学に進学したけれども、私は家を出た。勝手に自分の道を歩くことにした。まあ、最終的には親に迷惑をかけてしまうことになったのだけれども(^^;)。いやー、若かったね(笑)。

 でも、私はそれで良かったんだと思ってる。大学で未来のだんな様を見つけて、卒業後から結婚まで派遣の仕事をやっていた子。大学卒業後地元に戻ってきて、結婚して仕事を辞めた子。堅実に公務員をしている子。高校の同級生にはいろんな子がいる(^-^)。消息が分かるのは女の子だけだから、男の子にはすごいドラマが起こっているのかもしれないけれども。私は専門学校へいく前から目標を決めていて、それしか考えていなかったので、今でもその道を進んでる。これはちょっと自慢(笑)。今後もその道を外れることはないと思う。不器用かもしれないけれども、そんな生き方しができないんだな(^^;)。

 彼も、そうやって吹っ切ることができたら良かったのに。でも、彼の写真を見ていると、またこっちの世界に戻ってきそうな気もする。将来は、いい写真をいっぱい撮っているといいなあ。

 さて。今回の見出し「多感なオトシゴロ。」なんてものを付けてみましたが、これで私が事件を起こしたら、誰かが見つけてくるんでしょうね(きっとミステリーマニアだと思うけど(笑))。とある人物と共謀してある女性を殺したりなんかした日にゃあ。

 アナグラムで「たかとおんなごろし。」になっていることを(笑)。

*1:秘密の手紙箱 女性ミステリー作家傑作選3』山前譲編(光文社文庫)に収録。