たまには再読。

 「姑獲鳥の夏京極夏彦、再読してます。この夏公開される映画に先駆けて、復讐、ちがった、復習なのです。

 初めて読んだのは数年前でしょうか。基本的に文庫派で、たびたび本屋さんへは足を運ぶものの、いつも文庫棚にか見てなくて、当時はアリスとか宮部くらいしか読んでなかったんですけど。

 今でも思い出しますよ。アリスの国名シリーズが平積みされていて、その横にあーやの館シリーズも平積みされていた光景を、バッチリと思い出せます。なのにー、なーぜー。なんであーやに手が伸びなかったんだろうなあ。不思議だし、今ではものすごく後悔してます(^^;)。

 前々から京極夏彦の名前は知っていて、ノベルスの棚にえらく厚い本がそろっているなあ、とも思っていたのです。それであるとき、一大決心をして(笑)、シリーズ第1作目にあたる「姑獲鳥の夏」を手に取ったのでした。読んでみたらあーた、やめられない止まらない。京極堂シリーズのおかげで、何度徹夜したことか(大袈裟^^;)。

 当時は勢いで読んでしまっていたので、じっくり味わってなかったかもしれません。内容はうっすら憶えてますが、細々したところや、核心なんかもすっかり忘れてるかもしれませんね(笑)。

 短いスパンでの再読はどうか分かりませんが、しばらく時間を置いた後の大好きな作品の再読は、もうたまりません。とりあえず、初っぱなから萌えられるわけですよ(笑)。関口くんが眩暈坂(最初はそんな名前も出てこないけど)をのぼっていくだけで、もう、なんだかいいんです(笑)。しかも、目指すは「京極堂」でしょう? 思った以上に関口くんは饒舌でしたが(笑)、それに輪をかけて、京極堂はしゃべるしゃべる。蘊蓄盛りだくさん。

 もしかしたら、「占星術殺人事件島田荘司の最初の手記、あれで挫折する人も多いと聞きましたが、「姑獲鳥の夏」も最初の京極堂の蘊蓄で挫折する人も多いんだろうな、と認識したですよ(笑)。たしかに、蘊蓄なんだけれども、でもやっぱり私にはギャグにしか思えない。京極堂は“仕掛ける”もんね(笑)。小さいことでいえば、関口くんをハメるために話術で罠を仕掛けるでしょう? 憑き物落としでは、まあこっちもほとんど話術で(というか、言いくるめるだけなんだけど(笑))大きな仕掛けを作るわけじゃないですか。だいたい、いつも言葉で、相手が構築してきた世界を突き崩すわけですよね。付き合いの薄い相手だとやり方も丁寧ですが(やってることは酷くても(笑))、関口くん相手だと容赦しませんからね。思いっ切り遊んでます。京極堂にとって関口くんはおもちゃだもの(くすくす)。そして、史上最強の探偵・榎木津礼二郎。彼は、言うまでもなく性格が尋常じゃない。生まれも育ちも経歴も、何もかも普通ではない。彼の前だと、普通という概念が壊れます。というか、普通という概念がバカらしくなります(笑)。なので、関口くんが狂うのです。狂ってしまうのは関口くんだけではないのだけれども(^^;)。狂わないのは京極堂と木場くらいでしょうか。そう考えると、関口くんは、存在自体がもうすでに面白いのです(笑)。や、彼自体はいたって普通なんですがね。榎木津や京極堂なんぞと一緒にいるから、存在自体をギャグにされてしまう(わは)。木場に至っては、関口くんという反面教師がいるもんだから、表面的には2人の毒気にヤられないよう涙ぐましい努力をしているわけですが(強面だったり、乱暴だったり)、でもホントは心根のとても繊細な人なんですよね。それを、絶対あの2人は見抜いていて、でも、そのまま放置している。その方が面白いから(笑)。そういうキャラクター4人のバランスが絶妙で、電車の中で読みながら私は吹きだしてしまうのですよ。

 再読なんですけどね。嬉しくて嬉しくて。にやにやしてるし。ちょっとした表現が面白くって笑っちゃうし。もう、好き。たまらなく好きですね。読み終わるのがもったいないくらい。といっても、なかなか厚くて終わらないのですが(笑)。この調子で、「塗仏の宴 宴の始末」まで再読したいと思います。