たぶん器用。

 たまに「器用だ」と言われることがあるのです。A型なので、基本的に器用だと思うけれども、それは多分に“必然”が影響していると思うのです。

 変なところに几帳面なのですよ、私って。半分に折った紙が、ズレてたりすると気持ち悪い。新聞や雑誌を資源ゴミに出すとき、紐で結ぶのですが、できるだけきっちり角と角を合わせてキレイな形に整えないと納得いかない。あと、なんだろうな。なんでも、“順番”だったり、“そろって”いるか、“整って”いるか、その辺がむちゃくちゃ気になる。きちんとなってないと気持ち悪い。他人に任せてちゃんとならない場合は、自分でやるしかないじゃないですか。自分で自分が納得するように整えられるような技術は“必然”なのですねえ。だから、たぶん、手先も多少器用なのです。

 そういう手先の器用さではなく、同時に2冊でも3冊でも本が読める、という器用さもあります。机の上に同時に並べて…というのではないですよ(笑)、念のため。

 通勤用の本と、家用の本、寝る前用の本、と最高3冊までは併読経験ありです。今も、2冊同時に読んでます。話は混同しませんし、自分の中で混乱もしません。オン・オフがうまくできているんでしょうね。

 本を閉じると、その物語のスイッチは切れます。長編でも短編でも。お話の途中でも、本を閉じればすぐに意識が切り替わります。逆に、本を開いて数行読むと、すぐにその物語のスイッチが入るのですね。

 基本的に、活字にまみれた生活をしているので(笑)、頭の中はたいてい活字のことでいっぱいです。ずっと同じフレーズが回っていたり、何度も何度も同じところを書き直していたり、いろんな展開を考えていたり、と手元に仕事があるときは、ほとんどずっと考えてます。でも、その仕事を終えると、いつまでも考えているわけにはいかないのですね。自分が一度は納得して出した“作品”なので、その後で後悔することは愚かなことだと思うのです。後悔するエネルギーがあるなら、それを次の仕事に向けよう。そういう風に前向きじゃないとやっていけないです(というか、次から次から仕事が溢れてくると、前のことなんて考えている暇がないだけだったりしますが(笑))。

 たぶん、普段の生活でも、こういう考え方をするようになったのがきっかけかもしれませんね。子供の頃は、思いっ切り物語の世界に浸って、その中でたっぷり遊んでいたように思いますね。それはそれで、とても幸せな読書だと思います。今の私の読書スタイルは、幸せかどうか分かりませんね、便利ですけど(笑)。読むのも速いから、たくさんの本が読める、ということではある意味幸せですが。

 改めて自分でも「器用だなあ」と思いました(笑)。けっこうな数の本を読んでいて、感想を書くにしても、手元に本を置いているわけではないのですね*1。それでも、あらすじを見るとだいたい思い出しますし、まあ、自分のメモみたいなものもありますし、それで充分。それをキーワードにして、自分の感情が引き出せるんですね。まるでPCみたいだ。自分で言うのもなんだけど、ホント便利だ(笑)。

 でもやっぱり、許容量ってあると思うのですよ。実はですね、読み終えた作品で、まだ感想を書いていない本が35冊もありました(汗)。忘れないうちに書いてしまわなければ…。

*1:大きな声では言えませんが、会社で仕事が暇なときに書いていたりします(^^;)。