「嫁洗い池 (創元推理文庫)」

 芦原すなおという作家は、「青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)」で知りました。昔、たまたま深夜に映画をやっていて、何気なくみていたら、それが“大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)”のシーンで、「おおー、四国で撮影している」とそんな風にしか思ってませんでした。ところが、なんとなく舞台となっているのは観音寺市*1であると気付き、でも「こんなものがあるんだ」と、取り立てて何も思わなかったのですが(笑)。しかも、昔の映画だと思い込んでいたし。後日、何かの拍子に母に「観音寺を舞台にした小説があり、それが映画にもなった」という話を聞いて、タイトルを知ったのです。そのときは、大林監督の映画だとも、この原作が直木賞受賞作だとも知らなかったし、ましてや作者の芦原すなお香川県出身であるなんてこともまったく知らなかったのです。

 ところが先日、MLのメンバーの1人が四国を旅行したそうで、讃岐の郷土料理を食べた、と日記に書かれてありまして(http://d.hatena.ne.jp/tomo-s/20050116)、私の知らない“讃岐の郷土料理”まで出てきたものだから(笑)、その元ネタとなった「ミミズクとオリーブ (創元推理文庫)」にとても興味を持ったのです。

 内容としては、安楽椅子探偵モノの連作短編。続編に「嫁洗い池 (創元推理文庫)」があります。主人公は、作者をモデルとしたような、40代後半の作家。専業作家となったのを機に、香川から八王子の郊外へ出てきて、古い一軒家で生活をしています。その辺りは自然が豊かで、庭に植えたオリーブの木には毎日、ミミズクが通ってきます。そんなのどか〜な日々の中、主人公の友人で刑事をしている人物が、ちょっと奇妙な事件を持ち込み、それをつつましやかな奥さんが解決していく、という内容。

 事件の方は、「ふ〜ん」って感じなんですが(笑)、全体的なのほほんとした雰囲気と、奥さんの人柄、夫婦の関係、そして何より食卓に並ぶ料理の数々がとても幸せな気分にしてくれます。たぶん、芦原すなおという人は、香川県でも西寄りの方の出身ではないかと思うのですね。子供の頃に家のすぐそばにある海へよく泳ぎに行った、というような記述があるのですが、まあ、香川県は海に面しているところが多いのでそれだけでは判断できないんですけど。…どうやら観音寺市出身らしいですね(ちょっと調べた(笑))。ま、観音寺といえば県内の中でも大きな市ではありますが(今は合併なんかでもっと大きな市ができてるけどね)、愛媛県との県境なので、ちょっとそっちの文化がミックスされているところもあるのかも。それでも、懐かしい料理、懐かしい風習、懐かしい方言が堪能できました。

 たぶん、誰も分からないであろう“ヒャッカ”。そういえば、給食に出てた記憶が…。でも、“アラメ”や“サツマ”は私も知りません(^^;)。干しエビはさすがに懐かしかったです。香川というより、徳島にいたおばあちゃんから送ってもらっていたような気もしますが。そうそう、こっちでは“ちりめんじゃこ”を見ません。ゆでたヤツはあるんですけど、干したモノがない。あっても、小女子なのよねえ。それから、サワラもほとんど見ないし、太刀魚が高い(笑)。まあ、それは置いておいて。

 「嫁洗い池」は解説が最高。同じく香川県高松市出身の漫画家・喜国雅彦が書いているのですが、すべて会話。誰と誰がしゃべっているのか分かりませんが、讃岐弁の方が喜国さんだと思われます。この讃岐弁がいいんだわ。最初の方は少し遠慮してか、語尾くらいしか出てないんですけど、だんだんと接続詞“ほなけん”“ほんでから”なんかが出始めて、揚げ句には“やんじょる”まで(笑)。この“やんじょる”、一度県外に出てしまうと再度使うことがためらわれる、MAXな讃岐弁ですな(笑)。これには活用形があってですね、元は(というか標準語では)“している”という意味。それが、軽い讃岐弁だと“しよる”*2。それから“やりよる”“やんりょる”“やんじょる”という風に活用されていくわけです。そういえば、“ょ(小さいよ)”を結構使いますね。

 挨拶で“なんがでっきょん(語尾に“な”がつくこともある)”というのがありますが、標準語に訳すと“何ができているのですか”ということになるかな。“何ができているのですか”“何ができよるんな”“なんができよんな”“なんがでっきょんな”というような活用でしょうか。意味としては、“何をしているの?”くらいかな。ただ、使い方としては、“元気?”というような使い方。例えば、散歩をしていると畑で近所の人が作業をしていたときに*3「なんがでっきょんな」と声をかけます。声をかけられた人は、まず「なんちゃ」とか「なんちゃないわー」「なんちゃでないわー」くらい言っておいて、「ちょっとな、草がようけ生えてきたけん、抜っきょんや」とか答えるんじゃないでしょうかね。…ここでも解説がいるなあ。“なんちゃ”というのは、“何も”という意味。たぶん“ちゃ”というのが否定形なんでしょうね。「なんちゃない(何もない)」とか「どっちゃせん(どうもしない)」とか「だれっちゃおらん(誰もいない)」「ひとっちゃない(ひとつもない)」「どこっちゃいかん(どこにも行かない)」とか、こんな風に使います。“なんちゃない”というのは、訳すと先ほども書いた通り“何もない”ということになるのですが、“なんちゃでない”は“どっちゃせん”と同じような意味になるかな。ま、どちらもともに、この受け答えの場合は“別に”くらいの意味になるのではないでしょうか。「ちょっとな、草がようけ生えてきたけん、抜っきょんや」というのは、「ちょっとね、(畑に)雑草がたくさん生えてきたので、抜いているところです」ということ。“ようけ(よっけ)”は“たくさん”という意味。“抜っきょる(抜きよる)”は、“抜いている”。語尾の“な”は標準語の“ね”、“や”は標準語だと“の”とか“よ”? 関西弁だと“ねん”にあたるんだと思います。

 もう少し分かりやすくいうと、大阪弁の挨拶を思い浮かべてください。「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」。これも、“元気?”“相変わらず元気よ”というような感じの使い方ではないかと思うのですね。それを讃岐弁にすると、「なんがでっきょん」「なんちゃ」となる、と。…間違ってたら誰か教えてね(^^;)。

 そういえば、最近“ら抜き言葉”が問題になってますが、讃岐弁は基本的に“ら抜き”ですね。起きることができないことを、本来なら「起きられない」、ら抜きで「起きれない」、讃岐弁なら「起きれん」。見ることができないことを、本来なら「見られない」、ら抜きで「見れない」、讃岐弁なら「見れん」。食べることができないことを、本来なら「食べられない」、ら抜きで「食べれない」、讃岐弁なら「食べれん」。出ることができないことを、本来なら「出られない」、ら抜きで「出れない」、讃岐弁なら「出れん」。むーん、奥が深い(笑)。もしかして、ら抜き言葉讃岐うどんブームとともに広がってのでは?(絶対違うな)。他の方言は分かりませんが、例えば関西弁ならちゃんと「起きられへん」「見られへん」「食べられへん」「出られへん」と、“ら”が入ります。讃岐弁は語尾に“ん”を付けることで非定形としますが、関西弁では語尾に“へん”をつけるのが非定形。逆に“ん”は肯定なんですよね。「起きれんでー」というのは「起きることができるよ」、「見れんでー」は「見ることができるよ」。ん? 関西弁は讃岐弁とまったく反対なのは分かりましたが、肯定するときは“ら抜き”ですねえ。…逆だ。否定が“られへん”なんだな。ということは、讃岐弁も肯定も“ら抜き”だし、きっと、“ら抜き”が方言として使われている地域の人たちが標準語を使おうとした結果、らが抜けたんだ。“ら”が入るとなんとなく敬語なイメージがするんですよね、「起きられる」「見られる」「食べられる」、どれも“○○される”という軽めの敬語(そんなものがあるのか)。ま、なんせそういう地方の文化によって作られたのが“ら抜きことば”なのかもしれません。

 …確か、芦原すなおの作品について書いていたような気が(笑)。ま、そんな遠い昔のことはええか。

*1:“かんおんじし”と読みますが、地元では「かおんじ」と言っている風に聞こえます(言っている方は、実は「かんおんじ」と言っているつもりだったりするんですけどね(笑))。以前、春のセンバツで、観音寺中央高校が初出場で優勝したことがありました。そのとき、しきりにNHKのアナウンサーが「“かんのんじ”ではなく、“かんおんじ”と言うそうです」と言っていたのを思い出します。

*2:発音すると“しよおる”から“しょーる”になる。

*3:まず、そういうシチュエーションがないっちゅーねんな(^^;)。子供の頃はよく見た風景でしたけど。